ぎょっとするタイトルですが、、
初めて読んだチリ人の作家の短編集、
ロベルト・ボラーニョ「売女の人殺し」
本屋で手にとってページを開き、そのままそこに書かれている言葉の紡ぎ出す深みに
いきなり引きずり込まれることがある。
まわりの世界が止まってその物語の中で、登場人物の見る視点が私の視点をのっとり、
有無を言わせず腕を掴まれたまま世界がどんどん行進していくような
そして同時に自分の現実までも新たに同時に再生されるような。
すべては言葉とそれ以外のものでできている。
言葉にしか連れていってもらえない領域もある。
本に少しでも人生を変えられたことのある人ならわかる、物事を見る体験が変わる本。
何気ない日常が1ミリずつスライドしてずれていって
気がつけばとんでもない状況に巻き込まれていて
見える景色がまったく変わってしまうような、そのビフォーアフターのとてつもない距離と
その間で起こる火花と啓示。
出会うべき人に出会った時、静けさのなかで二人の存在の内側から光が流れ出して
それが暗いトンネルのなかで孤独に出会う瞬間のこと。
するりといつの間にか一緒に入り込んでしまった、現実の隙間に落ちてゆく
仲間との巡礼のようなトリップ、共有する不思議な時間。
私たちが何気なくなんとなく生きているこの人生は、誕生と死によって括弧に入れられ
その間に起こることを自ら見いだすことによって、その質量が決まる。
その括弧のなかで、時空間は歪みに歪んで時には生も死も越えて
いろんなところにまで広がって、そして互いが出会っている。
これら、それぞれ固有の人生の旅、
切りとられた場面の描写のそれぞれが、この本では穏やかなのにすさまじい。
見ているつもりで、実は何も見てなかったのかもしれない。
表層撫でて見るべきものを見てなかったのでは?なんて。
この本のエピグラフにある文章が言い得て妙なのだ。
「その企ては笑いのなかで終わり、お前は任務から解放され去っていくだろう」
ホラティウス
万事こんなふうにクールにいけるといいんだけどね。
そう、人生も世界も、時々とても「過酷」です。