母方のいとこがスイスから来ていて、その友達も来ていたので
日本の変態文化の心髄ともいうべき茶道を体験しに茶室へ。
主人は客や季節にあわせて掛け軸や茶碗や花を選び
一期一会の顔合わせを楽しむ。
すべてがそのときのためにあつらえられた背景。
炉のなかに配置された炭の具合、大小そして色合わせ。
覗き込むと火のはぜる禅の庭のような・・・
その場その時かぎりのその小宇宙。
ミクロの世界まで緻密に計算されているようで
緊張感があって繊細で美しい。
閉じた障子からうっすら差し込む曇り空の光。
すぐそばをとおる、だんじりのかけ声。
外国人の目を通してみる日本は
幻想的で蠱惑的。
そしてその偏執狂的なおもしろさもよくわかる。
5月5日のこどもの日に日本の原発が全部止まった。
福島の4号機のプールは今も危ない状態にあるし
内部被爆の怖さはチェルノブイリ以来のデータでも明らかであるのに
まだ再稼働に向けて一触即発一進一退の攻防から抜け出せない日本は
ほんとうに先進国なのか。
ほんとうの進化って何なんだろう。
電気煌々の暮らしをすることなのか。
停電から集団自殺というならインドの村なんて全員死んでる。
大人たちがちんたらやってる結果、とばっちり食らうのは
こどもたちであり自分たちの未来でもあるのに。
こんな時代にこどもを育てているお母さんたちはたいへんだと思う。
親の愛は無条件の愛。
まわりのお母さんである友達みんなすごい。
うちの母親は私が17のときに亡くなって
女たるもの、母親たるものの心髄は習わぬままに反抗期も立ち消えたけど
愛されていた記憶だけは残っている。
だから死ぬまで反抗期。