まだ家族はミラノ、チューリッヒと旅を続けていますが一足先に戻りました。
久しぶりの家族旅行たのしかったです。
朝からベタな駄洒落でとばしまくって夜はサドンデスで気絶する父。
それ見てげらげら笑う女たち。
まあ、お約束にぼられたりもしながら、死ぬほど歩き回った毎日でした。
愛想だとわかっていてもイタリア男に挨拶ついでにきれいだねとか言われると
やっぱり気分も上がってしまうこの女心。ほんとにどこを見ても美男美女。
退廃的で美しいあのベネチアの雨に濡れた石畳を、次回は家族以外の異性とぜひ。
夕方、少しお洒落して出かけるカップルたち。超ロマンチック。
そうでなくてもたたずむだけで、そぞろ歩くだけで充分しあわせ。
レストランのキャンドルと運河の波のきらめき☆
永遠に永遠に、道に迷っていられます。
レッツ ゲット ロスト。
いっぱい写真も撮ったなあ。遺跡そのもののような古い街並みに落書きが、
また何とも言えず今とここ。
ローマから入ってナポリ、カプリ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノ。
ミラノでは仕事もしました。縁あってスイス人のバイヤーの女性に会ってきて
インド話に花が咲いて、なにか面白くつながっていきそう。。。
ローマ、バチカンでサンピエトロ寺院にはじめて入ったとき
死ぬほど人がいたにもかかわらず、その美しさに胸がいっぱいになって泣きそうになった。
いや、ほんとにちょっと泣いた。
朝日が高い窓から差し込んであちこちに偶然のスポットライトを投げかける。
それがあらゆる彫刻、あらゆる天使、あらゆるシンボル、象嵌の床、十字架を照らす。
究極的には同じスピリットを表現するのに、西洋人はここまでこねくりまわして昇華するのだ。
禅寺の禅の庭との違いに、その対極の距離に、卒倒しそうになる。
アプローチが全然違う。
細部の細部に至るまで「神」を「形」にしてゆく心意気。
よほどその実在に確信がないとここまでできない。
やっぱり彼らとわたしたちはまったく違う方法論を持つ違う人種なのだ。
わかりきっていることだけど。
でも対峙して目を見ればそこには同じ「点」があって言葉もいらず
そこを通して通じる人とは通じてしまう、
すべての違いや境界線も溶けて消える、この不思議。
すべてが神話と宗教のジュースに浸されたイタリアの古い街は、対極だからこそ
どこまでも分かり得ぬがゆえに
限りない憧れとファンタジーをわたしのハートに刺青のように刻んだのでした。