arousing being
18のときに訪れたバングラデシュ、あの時歩いた線路がタクシーの中から見えた。
素朴な風景は様変わりして、街にはたくさんのビルが建設ラッシュ。
でもそのほとんどは廃墟のようになって、頓挫したまま中には誰も入っていない。
ぽしゃった計画の残骸があちこちに。
ガラスは割れてテナントは入らず空っぽの巨大なモニュメントだけが残る。
最初の志は、なんだったのか・・・いろんな夢を描いて建てたはずのブロークダウンパレス。
費やされたエネルギー、お金はいったいどこに行ってしまったのだろう。
今もどんどんビルが建っている。
人はいったいどこに向かっているのか。
でも、でも、田舎に行けば、あの時私を興奮させたとびっきりRAWでごつごつした現実が
目の前にある。ボロボロトラックのはげたペイントやリクシャーのデコレーションに心が躍る。
仕事を終えてルンギ(腰布)姿で街角のチャイ屋でくつろぐ男たち、
近所の人みんな集まって子供も大人もテレビに釘付け。
外国人に向けられる純粋な好奇心の目。
そして空港や公の場所ではあの時と同じ、さりげなく列の順番抜かしてしれっとにやけるおっさんもいる。そして私はあの時と同じように腹を立てる。
実は、最初ラジーブが滝のあるところではない、違う場所を見せようとチケットを用意してくれていたのだが、空港に行くと最初2時間遅れると。そして4時間遅れると言い、最後にはとうとうキャンセルになってしまった。
・・・しれっと。
空港を出てタクシーに乗って、飛行機が飛ばなくってと言うと、運転手のお兄ちゃんはまじめな顔で片言の英語で「暑いから時々キャンセルする」と慰めるように言う。「暑すぎるから」と。
ああ、なんか、もうこういうやりとりで脱力して笑えて、色んなことがどうでも良くなってしまう。
かわりに出かけた緑深い国境の街。シレット。
道中は大雨だった。
もう完敗。アンド乾杯。どうにでもしてくださいという気になる。
降り込められる感じは嫌いじゃない。窓にあたって砕ける水の粒を見ている。
藤原新也が書いてたみたいに、ここでこの異質なものに「負け」続けている。
あの10代のときの逆なでされる感覚がよみがえる。
たぶん、何の因果か昔、友達に連れて行かれたこの場所で
自分の考えていた世界とはまったく違う世界を垣間見た、そのことがまるで麻薬のように
私の今までの人生を支配している。それまでの価値観を破壊されることで生まれる
無垢なるもの、みたいなものを探して。
窓の外を見ていると、豊かな森の中から超ケミカルなポリエステルのショッキングピンクのサリーを着たお婆さんが突然現れる。ガソリンスタンドで80’sなシャツにクラシカルなチェックのルンギをまとった少年がうろついている。そんな光景だけでもうやられてしまう。
そして、みんなはただ、うろついている。その、ぶらついている感じがたまらない。大好きだ。
こんな時間が流れていたときも、日本にだってあったのだろう。
そして色んな場所で、今の日本のことを聞かれる。
「もう落ち着いたんでしょ?大丈夫なんでしょ?」と。
その度にいや、ぜんぜん終わってない。原発のことでまだまだえらいこと続いているんです、と訴える。
もう新聞の1面から日本の記事は姿を消し、人々の中で「済」のマークがつけられようとするのを
私は必死で阻止する。世界からのアテンションがもっと必要だと言う。原発怖いとむだに訴える。
こんな状況でも心を健やかに保ちたいし、楽しく生きたいけど
あきらかに自分も不安定だし日本中がおかしなことになっている。
放射能の及ぼす、身体的でなく精神的影響も絶対あると思う。物理的に生理的に。黄砂もすごいけど。
日本は美しい。国土の半分以上が森で、海に囲まれている。やおよろずの神をまつって自然を大事にしてきた。そんな場所が、世界の人がジャパン・・・と夢見る静かな漁村がゴーストタウンになるなんて悲しすぎる。。
チャンネルしだいで見える景色は違う。美しいもの、暖かいもの、愛すべきものがそこここにある。
そういうものを残したい。
自分が喜ぶこと、本当のこと、真善美を追求しよう。もう恐怖や不安ばかりに巻き込まれたくない。
脳みその連れて行くトリップには果てが無く、情報と断片とイメージだけを織りながらどんどん真実から離れてゆく。廃墟になるしかないあのビルたちのように。そしてそこにはなにもない。
すべてがあんなふうに志半ばに徒労に終わったら空しい。
ぜったい逃げ切ってやる。
- 2011.05.29 Sunday
- DIARY
- 21:18
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- by silent-loud